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「ほぼ」のいんしょう
「保姆」の印象
宮本 百合子
「日本映画」1941(昭和16)年10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,705 字 · 6 页
例えば小さい子供たちが、初めて提灯の切りぬきを習っているところ。一人のくりくり頭の男の子が、一心不乱に口を尖らせて切りぬきをやりはじめる。それを見ている私たちは、思わず自分たちまで口をとんがらしながら笑いを湛えて観ているのだが、子供の作業としてもまだそれが終りにも近づかないうち、従って、私たちの親愛な笑いや罪なさにかえったような心持が自然のリズムで推移しはじめるより早く、カメラはその対象から離れてしまう。呼び醒まされた一定の感興はそのために中絶され、何となし物足りなさが残される。感傷的に一つ一つの子供の顔の面白さに足をとられてゆくことは不必要だろうけれど、その瞬間の対象とそれをみるものの感情とがもとめるだけのゆとりは計量されなければならないのではないかしら。もっとも人によって、感性のタイプにちがいはあるだろうけれど。私にすればああいうところをもうすこし悠々とみせて欲しかった。
この切り抜きを習う場面と、鋏を使う面白さを覚えたばかりの子供が家へかえると何の切りぬき絵も持っていないところから、母さんが縫ったばかりの着物をジョキジョキとやって、母親はそれを悪戯として当惑し、保姆はああ本当に鋏を使いはじめたことお知らせするとよかったんですね、と実際から教えられる一つの插話は、この映画にとっては本質的な問題がそこ