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しんぎについて
信義について
宮本 百合子
「東京大学新聞」1946(昭和21)年7月23日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,992 字 · 6 页
逸見氏の文章を、私は様々のことを思いながら、読んだ。未完であったその「追憶」はつづけて四月十一日の『大学新聞』にのった。筆者はたっぷり、いい気持に、一種調子の高いジェスチュアをも加えて文章を進めているのであった。「マルクス主義は論壇で原稿稼ぎに使われるような、そんな生やさしいものではないのである。その理論の命ずるところは必ずプロレタリアートの実践と結びつく。」「この理論と実践との結びつきを、身を以て野呂が、あの健康をもって示したことは、今後のマルクス主義者に多くの範を示すものである」と。
それを読み、二度三度くりかえして読み、私の心には烈しく動くものがあった。この一節を書くとき、筆者逸見氏は、自分のうちにどんな気持がしていたのであろうか、と。
逸見重雄氏は、野呂を売って警視庁に捕えさせたスパイの調査に努力した当時の党中央委員の一人であった。特高が中央委員であった大泉兼蔵その他どっさりのスパイを、組織の全機構に亙って入りこませ、様々の破廉恥的な摘発を行わせ、共産党を民衆の前に悪いものとして映そうとして来たことは、三・一五以来の事実であった。そして、これは、今日の事実であり、明日の事実であるであろう。