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はちじゅうはちや

八十八夜

太宰 治

「新潮」1939(昭和14)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,623 字 · 28 页

青空文庫

」

いい声なのである。はい、はい、と素直に応答するその見知らぬ女の少し笑いを含んだ声が、酔った笠井さんの耳に、とても爽かに響くのだ。

ゆきさんが、ビイルを持ってやって来た。

「芸者衆を呼ぶんですって? およしなさいよ。つまらない。」

「誰も来やしない。」

「きょうは、なんだか、いそがしいのよ。もう、いい加減お酔いになったんでしょう? おやすみなさいよ。」

笠井さんは、また電話をかけた。

「もし、もし。ゆきさんがね、芸者は、つまらないと言いました。よせというから、よしました。あ、それから、煙草。スリイ・キャッスル。ぜいたくを、したいのです。すみません。あなたの声は、いい声ですね。」また、ほめた。

ゆきさんに寝床を敷いてもらって、寝た。寝ると、すぐ吐いた。ゆきさんは、さっさと敷布を換えてくれた。眠った。

あくる朝は、うめく程であった。眼をさまし、笠井さんは、ゆうべの自身の不甲斐なさ、無気力を、死ぬほど恥ずかしく思ったのである。たいへんな、これは、ロマンチシズムだ。げろまで吐いちゃった。憤怒をさえ覚えて、寝床を蹴って起き、浴場へ行って、広い浴槽を思いきり乱暴に泳ぎまわり、ぶていさいもかまわず、バック・ストロオクまで敢行したが、心中の鬱々は、晴れるものでなかった。