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はつたび
初旅
寺田 寅彦
「旅と伝説 第八十号」1934(昭和9)年8月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 1,974 字 · 4 页
そのせいではっきりそれを覚えているのかもしれない。道中の昼食は一人前五、六銭であったらしい。どこかの昼食で甥が一、二杯自分より多く飯をくったら、その分だけ一銭多く取られた。会計は父の命令で自分の方でもつことになっていたので、甥がひどく悄気て困ったことを思い出す。恥かしい内証話である。
室戸岬が日本何景かの一つになってから観光客が急に多くなり、今では、汽車こそまだ開通しないが、自動車や汽船で楽に日帰りが出来るそうである。その代りもう十一銭の宿泊料では覚束ないであろう。鯨取りもとうにもうノルウェー式か何かになってしまったはずだから、自分が父から聞いたような美しい勇ましい夢物語はやはり永久の夢物語になってしまったに相違ない。
甥のRが死んでからもう二十余年になるので当時の想い出を話し合う相手もなくなってしまった訳である。従ってこの想い出には色々の思い違いがあることと思う。
(昭和九年八月『旅と伝説』)