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わかれのじ

別れの辞

豊島 与志雄

「中央公論」1935(昭和10)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,330 字 · 37 页

青空文庫

あたし、その顔が見たかったわ。見そこなっちゃあいけない……とまあ、そういった場面ね。」

おけいは揶揄するようにわざと感歎の様子をしたが、島村は澄していた。

「そんなことも、あったかもしれないが、その代り、こんなこともあった。或る晩、酔って歩いていると……。」

それは、私が一度聞いた話である。酔って歩いていると、街角の、薄暗いところに、若い女が二人立っていた。安カフェーの女給とも、安料理屋の女中とも、どこかの子守女とも、私娼ともつかない、怪しい風体の女で、蒼ざめてむくんだ頬に白粉をぬっていた。その二人の方に、彼は歩みよって、微笑みかけ、言葉をかけ、ソバを奢ってやろうといって、すぐ側のソバ屋へ無理につれこみ、自分は酒を一本飲み、それから彼女たちに五十銭玉を一つずつ握らして、立去っていった。

それだけの、ばかばかしい話だったが、島村の調子には、冷酷に近いものが籠っていた。

「そんな話、どちらも、何の意味もないじゃないの。」

そう清子が云ったが、何の反響もなく、誰も黙っていた。島村は杯を取上げた。

「島村さん、飲もう、彼女たちのために杯を挙げよう。」

宮崎が夢からさめたように大声をだして、銚子を持って立上ったので、その場の沈黙は救われたが、妙に白けた空気は拭いきれなかった。