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なごやのこさかいふぼくし

名古屋の小酒井不木氏

国枝 史郎

「新青年」1929(昭和4)年6月増大号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,452 字 · 5 页

青空文庫

「家内は早く寝させますので。……お送りもさせませんで」と。

或る時こういう出来事があった。

或る夜私は例によって不作法にも長居をして偖帰る可く腰を上げた。すると氏は夫人に呼びかけられた。

「国枝さんがお帰りだよ。お送りしな。え、あんまり寒いので丹前を着ているって。……え、子供を寝せつけているって?……で、今着物を着換えて行くって?……」それから例の鼻皺を寄せ、上唇をツンと上へ上げる笑いを笑って私の方を見た。

私は呆々の態で飛び出して了い、氏の家から一町も離れ、どんなに哄笑してももう氏へは聞えまいと思った所で大声で笑った。そうして「酷いや!」と叫んだ。

氏のあの低い、嗄れた声で、あの壁の厚い書斎からあんなことを云ったって、ずっと離れている夫人の部屋へ声が届く筈が無い。証拠だってある。夫人はあの時返辞なんかしなかったでは無いか。聞えなかったからだ。氏は勝手に夫人を呼び、勝手に夫人の声を聞き(聞えもしなかった癖に)勝手に夫人の意を私に伝えた。つまり氏は一人二役をしたのだ。

「酷いや!」

しかしこういう喜劇は、氏が夫人の健康を慮かる情と、来客たる私の感情を害すまいとする心持から演ぜられたのであった。