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よるのくつ

夜の靴

横光 利一

――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页

青空文庫

すると、夕食には、私は参右衛門のところから呼ばれて、いつもの仏間で馳走になった。このときには、私の前に、特攻隊から帰還して来たばかりで、いま一台で飛び立つ間際に終戦になったという青年が、客となって来ていた。これは生命の破壊を事もなげに、一瞬の間にやり終る訓練に身を捧げた若ものである。

「ああ、もう、助かったのか死んだのか、分らん分らん。」

とそんなことを云いつつ、実に暢気に、傍にいる父から酒を注がれている。先日から煮溜めた砂糖黍の液汁に浸した小豆餅が、大鍋の中で溶けているのももう忘れ、私の妻は、特攻隊員だと聞かされてからは、突然戦争が眼前に展開されているのを見るように、表情が変った。そして、

「死ぬこと恐くありませんでした。」

と、恐わ恐わ訊ねた。

「あんなこと、何んでもない。分らんのだもの。」

こういう青年の傍でも、どういうものか、私はまた全く普通のことのように思いつつ箸を動かしているのである。恐るべき速度で何事か皆かき消えて進んでいるのだった。速度の方が恐ろしい、茫然としたこの痴漢のような自分の中で、何が行われているのか私ももう知らない。特攻隊は鼻謡を唄いながら、ケースをポケットから出し、抜き取った煙草を一本ぽんと叩いて、今夜これから寺で芝居をして来るのだと云っている。