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おおいがわおくやまのはなし

大井川奥山の話

木暮 理太郎

「新家庭」1920(大正9)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,724 字 · 20 页

青空文庫

続いて赤石山脈の帝王悪沢岳(東岳)の尖頂から東に延べた太い線が白峰山脈と錯綜するあたり、白く棚引く横雲の上に鳳凰山塊の地蔵岳や、更に遠く秩父の群山が大地震の震波のような線を描いている。東方の天は俄に低く落ち込んでいるが、其処には桔梗色の富士が威儀儼然と端座している。斜に照す旭の光は新たなる生命を与えるもののように、山という山の肌にほの温く匂って、老いたる血が蘇ったように見える。夫が自然と私の体にも伝わって、私はいつか幸福其物のようになっている自分を見出したのであった。

上河内岳を下りて少し登ると、尾根がずたずたに崩れて、両方に恐ろしいガレを懸け連ねた所が二ヶ所ある。夫を通り越して偃松の斜面を下った所は白檜の森林で、足ざわりの柔らかい苔の上を歩くのがよい気持である。こんな林の中を一上一下して、午前八時に聖岳の南の稍平な窪地に着いた。此所は聖沢の上流で聖平の名があり、少し右に行くと盗伐の為に建てたらしい小屋があって、水は其の傍を滾々と流れている。今朝から食事を取らなかった私達は、此所で朝飯を済すことにした。水に不自由がないので、久振りに顔を洗ったり体を拭いたり、洗濯物までしたのは贅沢な仕業であった。