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だいぼさつとうげ

大菩薩峠

中里 介山

23 他生の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,722 字 · 286 页

青空文庫

ここは日当りがことによくて、風の当りも少ない。竜之助は目的の鐙小屋へ行くことを忘れて、暫くそこに立っていました。

高山の麓、腹、頂などには、太古以来といっていいほどの小屋掛けが、思いがけないところに散在する。それがある時は殺生小屋であり、ある時は坊主小屋であり、あるいは神仏混淆に似たる室堂であったりする。

由来、坊主小屋は樹下に眠り、石上を枕とする捨身無一物の出家が、山岳を行く時にかりの宿りと定めた名残で、殺生小屋は山をめぐって、生きとし生けるものを殺しつくす生業の猟師が、糧を置くところと定めていたものだという。持戒者と殺生者とが隣合わせに住むのは、あながち塵の浮世の巷のみではない、高山の上にも、人間が足あとをつける限り、このアイロニーが絶えなかったものと見える。

ここ、小梨平、無名の沼のほとりに立てられた鐙小屋は、いつの世、誰によって、何の目的のために立てられたかわからないが、今でも人が住んでいる。

けれども、この鐙小屋までは、まだこの沼づたいに相当の距離がある。無名の沼の岸を机竜之助は金剛杖をついてではない、それを提げて――静かに歩んで行くと、不意に空を切って飛んで来た礫が、鏡のように静かで、そして透き通る無名の池の中に落ちて、ザンブと音を立てて波紋が、ゆるやかに広がりました。