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だいぼさつとうげ
大菩薩峠
中里 介山
30 畜生谷の巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 74,962 字 · 145 页
「やっぱり周囲は山でしたね、同じところにいるんじゃないか知ら」
この夕暮を、急に真夏の日ざかりの午睡からさめたもののように、お雪ちゃんは、なさかがわからないで、暫く、ぼんやりとして立っていましたが、さて、自分の身はと顧みると、髪はたばねて後ろへ垂らし、白羽二重の小袖を着て、笈摺をかけて、足はかいがいしく草鞋で結んでいることに気がつき、そうして白羽二重の小袖の襟には深山竜胆がさしてあることを、気がつくと、ああ、なるほど、なるほど、間違いはありません、白馬からの下り道に違いはありません。
ただ四辺の光景が、こんなふうに変ってしまったのは、下り道を間違えたせいでしょう。それにしても、ちょっとも疲れていない自分の身を不思議だと思いました。
どうも、なんだか、この白い小袖が、鶴の羽のようにふわりと空中に浮いて、白馬の頂からここまで、自分の眼は眠っている間に、誰かが、からだをそっと持って来て置いてくれたもののようにも思われ、やっぱりすがすがしい心のうちに、なんとなく暖かな気持で、お雪ちゃんは岩の上に腰をかけて、涯しも知らぬ大きな湖の面の薄暗がりを、うっとりと眺めつくして、それ以上には、まだ何事をも思い浮べることも、思いめぐらすこともしようとはしません。