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だいぼさつとうげ

大菩薩峠

中里 介山

41 椰子林の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 178,374 字 · 345 页

青空文庫

お松は椰子の木蔭に息をこらして、人を待つの姿勢となりました。

それとも知らぬ駒井甚三郎が、当然そこを折返して来たのは、久しく待つ間のことではありませんでした。

「誰、そこにいるのは」

と言葉をかけたのは、待機の女性ではなくして、そぞろ心で月に歩んでいる独歩の客でありました。

「はい、わたくしでございます」

とお松は、きっぱりと言いながら、存外わるびれずに、木蔭から身を現わして駒井の方へ近づいて来ました。

「ああ、お松どの、そなたも月に浮かれて来ましたか」

「はい、ちょっと、海へ出て見ますと、あんまりすばらしいお月夜でございますものですから」

「まだ、みんな騒いでいますか」

「ええ、皆さん、大よろこびで、あの分では夜明しも厭いますまい」

「そうですか、それは本望です、そういう楽しみをしばしば与えてやりたいものだ、我々がいると、かえって興を殺ぐこともあるかと、実はそれを兼ねて少々席を外してみたが、外へ出ると、またこのすばらしい光景だものだから、つい、うっかり遠走りをやり過ぎて、いま、戻り道に向ったところです」

と駒井は、いつもの通り沈重に釈明を試みました。その時にお松は、この場の悪くとらわれたような羞恥の心が、自分ながら驚くほど綺麗に拭い去られて、ずっと駒井の傍へ寄ることを懼れようとしませんでした。