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だいぼさつとうげ
大菩薩峠
中里 介山
34 白雲の巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,838 字 · 204 页
むしろ歌ってもらいたいものだというような物足らなさが、駒井の胸にも、お松の胸にも、ひとしく湧き上ることを如何とも致しかねました。
ですけれども、茂太郎の歌は、決して聞えませんでした。
「よく寝れば、寝るとて親は子を思い」――お松は、そういったような一種の親心同様な思いに駆られて――船長室を立ち出で、
「茂ちゃあーん」
と呼んでみようとしたが、おとなしくやすんでいるものを起さないがよいとも思案しました。なまじい呼びかけて、またあの子の即興心をまで呼びさまし、はしゃぎ出されたのではたまらない。
港へ入ったという安心で、あの子もぐっすり寝込んでいるだろう、明日まではそうして置くがよいと、お松は思案して、自分の部屋へ引返しましたけれど、茂太郎の歌わないことが、いよいよ我が身を滅入らせるような思いをしないではありません。
こうして、入船の当夜は、特に静粛なるべき船長の思慮と命令がよく行われて、物音らしい物音、人声らしい人声は船内から一つも外へ洩れないで、ほとんど無事にその夜が明け放れんとする時分に、船長の思慮と威令とが、遺憾なく蹂躙された一大衝動を捲き起したというのは、本意ないことであります。