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てんま

天馬

金 史良

「文芸春秋」1940(昭和15)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 35,407 字 · 70 页

青空文庫

のそのそと又這い上る。こうして彼は目だけを赤々と燃えたぎらせ狂った泥牛のように怖ろしい恰好になった。だがその実今度こそお経や念仏のただよう海風にあおられて、ふわりふわり天上へ上って行きそうな気になった。ところがそうではない。彼の心の真底ではちゃんと自分が娼家界隈へはいっていることを知っているのである。本当は自分の泊ったことのある家々をあがきつつ捜し廻っている訳なのだ。けれどどこにもかしこにも同じような赤や青のペンキを塗りたくった家ばかりで、折からざあっと土砂降りになった雨の水煙りにけぶって見えなくなる。彼は腕を振り上げて何かを二言三言声高に叫んだ。それから突然又殺気だった断末魔の闘牛のように怖ろしい勢で駆け出し、一つ一つの家の大門を叩き廻り始めたのである。

「この内地人を救ってくれ、救ってくれ!」

彼は息をぜいぜいさせながら喚くのだった。そして又他の家へ飛んで行き大門を叩きつける。

「開けてくれ、この内地人を入れてくれ!」

又駆け出す。大門を叩く。

「もう僕は鮮人じゃねえ! 玄の上竜之介だ、竜之介だ! 竜之介を入れてくれ!」

どこかで雷がごろごろと唸っていた。