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おううほくぶのせっきじだいぶんかにおけるこだいシナぶんかのえいきょうについて

奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について

喜田 貞吉

「民族 第二巻第二号」1927(昭和2)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,885 字 · 20 页

青空文庫

、これはしばらくそのままに保留して、さらに別の経路を考えてみると、あるいは沿海州方面から、海路津軽・秋田地方にその道が開かれていたのではなかろうかと思われるのである。かの欽明天皇の朝に粛慎人が佐渡島に漂着した事実を始めとして、敦賀を目指した勃海の船が、しばしば能代・津軽等に漂着した実例は少くない。太古の漁業民が案外遠方に航海したことは、今も隠岐の島人が単身小船で鬱陵島に往来することによっても想像せられるが、かつてはアリュート人が、革船に乗って樺太の東岸に到着した実例のあったということによっても知られよう。されば山丹地方に伝わったシナ古代の文化が、海峡を渡って樺太・北海道を島伝いに、本州北部に渡来したと見るもよし、あるいは海路直接に、津軽・秋田方面に到着したと解するもまた通ずべきである。あるいはその双方が行われていたのかも知れぬ。室町時代の津軽十三湊の繁華を述べた『十三往来』には、ここに夷船・京船の群集した趣を記しているが、日本海方面における阿倍比羅夫の遠征の事蹟は、実に千二百五、六十年前においてこの京船の夷地到来の役まわりをつとめたものであり、後の代の夷船の津軽来泊は、太古の北海道・樺太・山丹地方、ないしは勃海方面と直接・間接の往来のあったことを示してあまりあるものであろう。