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おんなとぼうし

女と帽子

豊島 与志雄

――「小悪魔の記録」――

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,614 字 · 33 页

青空文庫

磯づたいに、砂の上を、どこまでも歩きたいような晩でした。私達は沖の燈籠を見、波に映ってるその火を見、そして生や死のことなどを考えていました。仰いで星を見ることなんかしませんでした。私には悲しい結婚が、恐ろしい物影のように前に立塞っていました。その時、今村さんと何のことを話していたか覚えていませんが、今村さんは突然私の手を執って、あなたに足りないのは力だけだ、と云いました。私悲しくなって、今村さんの手をはなさず、縋りつくようにして歩いていきました。人がちらほらしますので、浜辺から少し離れて、松の木が七八本立ってるところまで行った時、松の根が出てる上に、今村さんは真白なハンケチを拡げました。そこに腰をおろす時、私は今村さんによりかかってしまい、今村さんは私を引寄せ、そして初めて、キスをしました。強く強く抱きしめられたということ以外は、頭がぼーっとして、何にも覚えていません。

ただそれだけのことが、どうして今迄忘れられなかったのでしょう? 今村さんも私も、愛してたかどうかさえ分りません。ただああいうことがあったというだけです。私が結婚生活に破れて東京に出て来て、叔母と一緒に小料理屋などを始めた時、今村さんの住所をきいて手紙を出したのも、同郷人の応援を頼むという意味だけでした。