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ふじんとぶんがく

婦人と文学

宮本 百合子

※「作品について」参照

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 180,792 字 · 351 页

青空文庫

吉原のおはぐろ溝に近いその家には、殆ど徹宵廓がよいの人力車の音が響いた。壁一重の隣りには人力車夫が住んでいる。毎朝一葉は荷箱を背負って問屋の買い出しに出かけ、五厘六厘の客も追々ふえて、六十銭一円と売りあげもあるようになった。細かい商いだから一日百人の客がないことなく、そういうせわしなさにいくらか馴れると、一葉は店を妹にまかして図書館通いもした。

一年に足りないこの大音寺前の生活は、のちに「たけくらべ」を生む地盤ともなり、一葉の一生に特別の意義を認められている。同時にここの特殊な猥雑濃厚な生活環境は、一月一月と経つうちに、感受性のつよい一葉の二十こしたばかりの感覚に、極めて隠微な、しかもおそろしいような影響を与えはじめたのも事実ではなかったろうか。

荒物屋をひらくときの心機一転して裾を高々とはしょりあげたような気分、荷箱をはじめて背負ってみて案外に重きものなりとさらりとしている生活の感情。そういう思い決した颯爽さは、彼女が当時の日記の題を「塵の中」とつけた、全くそのようにしか云いようのない環境のみじめさ、いやしさ、異常性のなかで、勤労の清潔な鋭さを次第に曇らされて行ったのだと思われる。