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こをうばう

子を奪う

豊島 与志雄

「中央公論」1921(大正10)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,292 字 · 80 页

青空文庫

「おかしな人ね。」と兼子が云った。「初めはあんなに躊躇していらしたくせに、今になって、どうしてそう性急なことを仰言るの?」

「僕の心がきまったからだ。」と彼は答えた。「心がきまった以上は、僕は是非とも依子を引取ってやる。向うで嫌だと云えば、奪い取っても構わない。……安心しきって下らない空想に耽ってるうちに、またどうなるか分らないじゃないか。その方を先に解決するのが第一だ。」

「では何を危ぶんでいらっしゃるの?」

彼は黙って兼子の眼を覗き込んだ。その眼は好奇の色に輝いていた。彼は不安な気持ちになった。見せてならないものを見せたような気がした。依子を愛することが、何で兼子に気兼ねする必要があろう? そうは考えてみたけれど、はっきりした形を取らない仄暗い不安が、何処からともなく寄せてきた。依子が来たら凡てよくなるだろう、と彼は自ら云った。そしてそれまでは、もう依子のことを口にすまいと決心した。

彼が黙っていればいるほど、兼子の眼は益々彼の内心へ向けられていった。彼はそれをはっきり感じた。

「眼が大きいそうですから、屹度あなたに似てる子に違いありませんわ。」と兼子は云った。