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こをうばう
子を奪う
豊島 与志雄
「中央公論」1921(大正10)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,292 字 · 80 页
敏子は固より幾代まで、自分が食べるのをうち忘れて、依子の面倒をみてやっていた。依子は促される度に小さく口を開きながら、自分では食べようともせずに、食卓の上に並んでるいろんな皿を、珍らしそうに眺めていた。多くの皿は手がつけられないで残っていた。敏子も幾代も兼子も、ごく少ししか食べなかった。ただ瀬戸と彼とだけがやたらに食べた。彼は片手に杯を持ちながら、危うげに箸を掴んでる依子の小さな手附を、しきりに眺めていた。眼の底が熱くなってきた。皆が箸を置かないうちに、彼は一人ぷいと立ち上った。
足がふらふらして頭がかっと熱っていた。煙草に火をつけながら、庭の中を歩き廻った。空は一面に曇ってるらしく、星の光りも見えなかった。湿っぽい冷かな空気が何処からともなく流れてきて、今にも雨になるかと思われた。彼は俄に真黒な木立に慴えて、それでもなるべく薄暗い隅を選んで、縁側に腰掛けた。じっとしていると、わけもなく涙が出て来た。それを自ら押し隠すようにして、背中の柱に軽く頭をこつこつやった。頭の動きが一人でに強くなっていった。しまいには、軽い眩暈を覚えた。然し柱の角にぶっつける痛みは、頭の皮膚に少しも感じなかった。