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ほうえいふんか

宝永噴火

岡本 かの子

「文学界」1940(昭和15)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 31,505 字 · 62 页

青空文庫

そして、これほど世間に評判の悟者でさえ、自然や運命に対する自由さはこの程度のものだ。まして自分如き凡人はいくら修業をしたところで所期の幸福は得られそうもない。若い慧鶴は遂に宗教的救済に見切りをつけ、生きているうちはせめて楽しもう、誰でも人生問題に行き悩んだ人が解決から弾ね返されて来て、寒そうに踞る境地、そうは決心しても決して長くは落着いていられない薄べり一枚の境地、そこへ彼も腰を据えた。彼が僅かに慰められた「死」に対する諦らめは、次のようなものだった。「どうせ遁れぬ滝の落ち口なら、われも人も手を取り合って落ちて行こうよ」と。

私は想像する。こう諦らめて周囲を見廻した時ほど、慧鶴の眼に、人間の姿がなつかしく映ったときはあるまい、と。

慧鶴が十七歳のときは元禄十四年であったから、千代田の殿中で浅野内匠之頭の刃傷があり、その翌年慧鶴十八歳の暮に大石良雄の復讐があった筈である。一方ああ云った公的規模の出来事があり、一方こういう個人的の稀有な本能の慾望の問題に悩まされた人間も在ったのだ。

どうせ宗教で、人間超越の見込みがつかず、享楽本位に気持を入れ換えたのなら、いっそ俗人に立ち還って、心置きなくその目的に身を入れたらよさそうなものだと思うのに、慧鶴はそれもしなかったらしい。