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ふじ

富士

岡本 かの子

「文芸」1940(昭和15)年11月号~1941(昭和16)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 40,579 字 · 82 页

青空文庫

前の方の理由からならば一夜ぐらい離れていることはとかくに辛棒はしてもいい。しかし後の方の理由からとしたならこれは卒爾には済まされんことだ。そうしたことには山の祖神として自分にわけも気持もあってしたことの解き開きを娘の神にとくと諾かして、根に持つ恨みを雪解の水に溶き流さすまではかの女の傍からは離れられない。そのことで今世の親子の縁は切られ度くない。そう思ってかさにかかって翁の娘の神に詰め寄りなじりかかろうとする刹那に神楽の音が起り祭が始ってしまった。本意なくも庭外まで退いたのであったが。腹はむしゃくしゃすると同時に堪えぬなつかしさの痛み、悔いないでよいことへの悔い――そういったことでごちゃごちゃになっていた。せめて娘の姿の望まれるところでしばらく心を宥めよう。それにしても子というものは、しばらく離れてめぐり会った子というものは何と人間のような血の気を神の胸にも逆上さすものであろう。これが大自然に対しては冥通自在を得た山の祖神ともいわれるものの心行かよ。翁は庭のはずれの台のところに来て蹲りながら苦笑した。

台の傾斜からは麓の野を越して、たそがれの雲の帳が望まれた。