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ふじ

富士

岡本 かの子

「文芸」1940(昭和15)年11月号~1941(昭和16)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 40,579 字 · 82 页

青空文庫

小牛ほどの熊を引ずって来て、それに掌で搏たれ、爪で掻れながら彼は、組打ち、小剣で腹を截り裂いた。截り裂くと同時に、彼は顔をぐわと、腹の腑の中に埋めた。血潮が迸る。彼は頭を腑中に抉じていたが、すぐ包もののような塊を銜え出した。顔中のみか鬚髪まで血みどろになって恐ろしく異様な生ものに見えたと銜えた包もののような塊からも繋る腑の紐からも黒いほどの獣の血が滴った。彼はそうしながら、しょんぼりとして女の前に立つ。これはなんのつもりだろう。すると、不思議に、女は顔蒼ざめさせ体は慄えながら一種の酔心地とならざるを得なかった。生れて始めて力というものが身の中に育まれるのを感じた。

だが女はこの気持を通しての、酔えるままにこの男と融け合ったならどういうところへ行くであろうと危く思う。

女は、そ知らぬ顔をして富士を見上げた。碧い空をうす紫に抽き上げている山の峯の上に相変らず鳥が渡っている。奥深くも静な秋の大山。

女は、所詮、どっちかからいい出さねばならない羽目が近付いているのを悟った。母親も気付いて相手の身分を図り近頃はぐずぐずいう。しかしこの情熱を生のままでは、たとえこのまま二人は結ばれたにしろ、のちのあくどさが思い遺られる。