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ちいさなできごと
小さな出来事
寺田 寅彦
「中央公論」1920(大正9)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,533 字 · 29 页
そして壁を延ばす代りに穴の中へ頭を挿しこんで内部の仕事をやっている事もあった。しかしそれがどういう目的で何をしているのだか自分には分らなかった。
そのうちに私は何かの仕事にまぎれて、しばらく蜂の事は忘れていた。たぶん半月ほど経ってからと思うが、ある日ふと想い出して覗いてみると蜂は見えなかった。のみならず巣の工事は前に見た時と比べてちっとも進んでいないようであった。なんだか予想が外れたというだけでなしに一種の――ごく軽い淋しさといったような心持を感じた。
それから後はいつまで経っても、もう蜂の姿は再び見えなかった。私はどうしたのだろうと色々な事を想像してみた。往来で近所の子供にでも捕えられたか、それとも私の知らないような自然界の敵に殺されたのかとも考えてみた。しかしまたこの蜂が今現にどこか遠いところで知らぬ家の庭の木立に迷って、あてもなく飛んでいるような気もした。
私は親しい友達などが死んだ後に、独りで街の中を歩いていると、ふとその友が現に同じ東京のどこかの町を歩いている姿をありあり想像して、云い知れぬ淋しさを感ずる事があるが、この蜂の場合にもこれとよく似た幻を頭に描いた。