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やまのこんじゃく

山の今昔

木暮 理太郎

「山岳講座」1936(昭和11)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,554 字 · 42 页

青空文庫

唯ウェストン氏が日本山岳会の生みの父であることは、忘れてならない功績であろう。

志賀重昂氏の『日本風景論』が世に出たのは、ウェストン氏の著書に先立つこと二年、日清戦争のまだ終結しなかった明治二十七年の十月である。世を挙げて戦争に熱中している際の出版ではあり、又実に名篇であったから一段と好評嘖々たるものがあった。恐らく当時の多くもなかったろうと思われる登山者で、此書を読んで多大の感化を受けなかったものはあるまい。二十八、九年から三十五、六年頃にかけて、北アルプスの登山者が次第に増加するようになったのは、これは私だけの考であるが、其影響によるものと想像する。しかし多いと言っても知れたもので、河野齢蔵君が三十一年に白馬岳に登り、三十五年に小島烏水君が槍ヶ岳に登ったのが著しいものであったに過ぎない。尤もウェストン氏は再び来朝して三十五年から三十七年迄の間に南アルプスの北岳、間ノ岳、鳳凰山、地蔵岳、仙丈、甲斐駒、八ヶ岳の赤岳等の諸山に登っていた。アルプス以外の山で邦人に登られていた山は勿論少なくないのであるが、それらは総て省くことにする。

本邦の氷河問題を繞って、学界に論争の花を咲かせ、波瀾を捲き起したのも、三十五年頃からである。