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さんじょうこ
山上湖
豊島 与志雄
「新潮」1949(昭和24)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,912 字 · 22 页
この僅かな水流にまで、鱒はさか上ってくることがある。湖水にそそぐ土管をくぐり、瀬を跳ねあがり、窪み窪みを辿って、浅いところは背中を半ば出して砂上を匐うように泳ぎ、産卵のためにさか上ってくる。そういう一匹を私は見つけた。それは本能からであろう。無我夢中でもあろう。然しなんという勇敢な積極的なことか。それは恋愛をする女性の姿だ。
私はもう、恋愛をしていないのであろうか。
男性はどうなのか。平田はどうなのか。
「鱒を見にいきましょう。月の光りで見たら、どんなかしら。」
道路から少し上ったところに、コンクリート造りの池が幾つも並んでいる。春夏は鯉や鮒が飼ってあるそうだが、秋には姫鱒がいっぱいはいっている。産卵に戻って来るのを、地引網で捕えて、雌雄よりわけて放ってあるのだ。上方から順次に山水が流れ落ちている、その水流に逆らって、群れ静まっているが、些細な物音や物影にも、ぱっと乱れ散って渦を巻く。
私達は足音を忍ばして近づいたが、池のそばに植えてある桜の立木に月光が遮られて、よくは見えない。眼が馴れてくると、池の中には黒いものが縦横に動乱しているのが分った。やはり足音か人影かに驚いたのであろう。