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さんじょうこ
山上湖
豊島 与志雄
「新潮」1949(昭和24)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,912 字 · 22 页
私の眼もかすんできて、泣きたくなった。
「なにをぼんやりしてるの。服を乾かしてごらん。ほら、こんなに湯気がたってきた。」
彼の服からはほかほかと湯気がたっていた。けれど、そんなことはどうでもよいのだ。靴の中がじめじめしてるのが、服の濡れたのよりは、私には気になる。靴の中のじめじめよりは、心の湿っぽいのが、一層悲しいのだ。
心情がぼんやりしてるのは、私よりもむしろ彼の方だったではないか。あの山腹の上の方、あすこの峠を、バスは通ってきた。峠の上で、バスは止って、乗客に下車を許すのである。そこで突然に眼界が開けて、湖水が一望のうちに俯瞰される。四方を取り巻いてる山々の中に、二つの半島を抱いて、湖水は青々と深々と広がっている。対岸は茫とかすんでいるが、近くの山々や半島は、黝ずんだ針葉樹林をちりばめて、眼がさめるほどの鮮かな紅葉である。
私は身も心も硬直する思いをし、とっさに平田を顧みた。
「ほう。」ただ一言、それも殆んど感情のこもらぬ歎声を発して、平田は前屈みに、あちこち頭を動かして眺めている。私には何とも言ってくれないし、どこかを凝視するのでもなく、呆けたように視線をばらまいているのだ。