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ていぎんじけんをろんず

帝銀事件を論ず

坂口 安吾

「中央公論 第六三年第三号」1948(昭和23)年3月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,227 字 · 15 页

青空文庫

あとで分かったが、キャーッという悲鳴は、ひきずられつつある人の悲鳴ではなく、それを認めた若い婦人の悲鳴であったそうな。あとで思ったが、絹をさくようなキャーッという悲鳴、物の本にはザラにあって、私は現実にはじめてきいたのであるが、人が白刃の下でまさに殺される時に、覚らずしてこんな悲鳴をおのずと発するに相違ない。

二合五勺の、そのまた二十数日の欠配。これを忠実に守って死んだ判事があったが、生き得べからざる現実の中にわれわれは生きている。ヤミをしなければ生きられぬ。タケノコ生活ができなければ、身を売り、ヤミをやり、盗みを働くほかに手がなかろう。さもなければ、判事のごとく死する以外に道はない。

つまりわれわれの四囲の現実というものは、戦争と同じように荒廃しきっているのである。戦争と同じように、と私はいったが、私は戦争そのものを知らないのだ。ただ、戦争中における私の四囲の現実を知っていたが、恐らく大部分の人々がそうであるに相違なく、大陸でノンビリ戦争していた人々などは、そのころは衣食住は保障され、わがままは通り、今の現実にくらべれば、どっちが苛烈な戦地であるやら、これを通観して、今、戦争が終った、などと、観念上に架空な言葉を押しつけても、四囲の現実というものは、なお戦争そのものなのである。