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まぼろしのかなた

幻の彼方

豊島 与志雄

「中央公論」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 41,763 字 · 84 页

青空文庫

煖炉の火がいやにかっと熱くて、そのくせ身体は温まらなかった。彼は強いて杯の数を重ねた。腹も空いていた。料理を三四品食べた。

電車が無くなった頃、彼はぼんやりした酔心地で家に帰って来た。寄せられる玄関の戸を押し開いたが、誰も出て来なかった。自分で締りをして、茶の間に通った。火鉢に鉄瓶の湯が沸いていて、茶道具が揃えてあった。茶をいれて飲んだ。

家中がひっそりしていた。鼠の音もせず、人の気配もしなかった。彼は変な気持になった。女中部屋を覗いてみると、女中はぐっすり眠っていた。座敷の方を見ると……喫驚した。

竜子が、順一の枕頭に、石のように固くなって端坐していた。

順一の病気がひどいのかしら、それとも……。

二三時間前のことが、眼にはっきり見えて来た。それを無理に彼は突きぬけようとした。つかつかとはいって行って、順一の横に坐った。手を伸して額に触ってみたが、生温いだけで、熱はなさそうだった。

「様子が悪そうなのかい。」

「いいえ。」と竜子は顔を伏せたまま答えた。

「どうしたんだい。」

返辞がなかった。彼は暫く待ってから、火鉢の方へいざり寄って煙草を吸った。

「旦那様は、」