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かれはむかしのかれならず
彼は昔の彼ならず
「世紀」1934(昭和9)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 28,274 字 · 57 页
僕はその姿を見た。けれども、僕の君に知らせようとしている生活は、こんな月並みのものでない。
こっちへ来給え。このひがしの方面の眺望は、また一段とよいのだ。人家もいっそうまばらである。あの小さな黒い林が、われわれの眼界をさえぎっている。あれは杉の林だ。あのなかには、お稲荷をまつった社がある。林の裾のぽっと明るいところは、菜の花畠であって、それにつづいて手前のほうに百坪ほどの空地が見える。龍という緑の文字が書かれてある紙凧がひっそりあがっている。あの紙凧から垂れさがっている長い尾を見るとよい。尾の端からまっすぐに下へ線をひいてみると、ちょうど空地の東北の隅に落ちるだろう? 君はもはや、その箇所にある井戸を見つめている。いや、井戸の水を吸上喞筒で汲みだしている若い女を見つめている。それでよいのだ。はじめから僕は、あの女を君に見せたかったのである。
まっ白いエプロンを掛けている。あれはマダムだ。水を汲みおわって、バケツを右の手に持って、そうしてよろよろと歩きだす。どの家へはいるだろう。空地の東側には、ふとい孟宗竹が二三十本むらがって生えている。見ていたまえ。