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びしょう
微笑
豊島 与志雄
「雄弁」1919(大正8)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,995 字 · 43 页
私はその晩の出来事が妙に嬉しくなった。ふいに一人の知己を得たような気がした。「なぜもっと早くあの男に話しかけなかったろう。」そう思うとまた急に彼に逢いたくなった。そして、少し危ぶみながらも彼に逢えるかと思って、その翌晩また坂口を訪れ、十二時が打つといい加減に碁の勝負をきり上げて停車場へ帰ってきた。
私が階段を下りてゆくと、「やあ!」と云って声をかける者があった。村瀬だった。
「僕は君が屹度今晩も来ると思って待っていたんです。」と彼は云った。「お蔭で電車を一つやり過してしまった。」
「そうですか。僕も君が来るような気がしたので、わざわざ出かけて来たんです。」
私達はまた歩廊の上を並んで歩き出した。そして私はふと立ち止って、顧みた彼の顔をじっと眺めた。
「随分度々君には此処で逢いましたね。」と私は云った。
「そうでしたね。」と彼は答えたが何か他のことを考えているらしかった。
「なぜ君はもっと早く僕に言葉をかけなかったのです。」
「え!」と云って彼は眼を輝かした。「僕も君にそう云おうと思ってた所です。それではお互いっこだ。」
「そうですか。然し随分長い間互に話しかけたく思いながら妙な遠慮をして、擽ったいような思いをしたものですね。