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おんじん
恩人
豊島 与志雄
「帝国文学」1914(大正3)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,268 字 · 27 页
そして心持ち青白くなっているのを。彼はその冷たそうな顔を暫く見守っていたが、やがて丁寧に頭を下げた。
「御悠りとお休みなすって下さい。」
そして彼は叔父が扉をしめた音を暫く其処に佇んで聞いていた。
朝寝の習慣がついてしまっていたので、翌朝彼が起き上ったのはやはり太陽が高く上った後であった。そよそよと風に揺ぐ新緑の葉の一つ一つに日光が輝いて、そして雀の群が楽しい叫び声で呼び交していた。
「叔父さんは?」と彼は女中にきいた。
「早くから、野原に出て来ると仰言いまして御出かけになりました。」
彼は庭に出て新鮮な空気を吸い、そして室に帰って叔父を待った。昨夜のことが夢のようにかすんでゆくのを、追っかけるようにして心のうちに回想してみた。追憶がやさしい形を取って、現在の自己と何等交渉のないような朧ろなものを見せてくれた。その中に北斗星が明瞭と光り輝いて彼の頭に映じた。
其処に叔父が何処か晴々とした顔をして帰って来た。凡てを忘れたもののようにして、そして長い間の親しみを持ったもののようにして。
「よく御眠りになりましたか。」
「ああ。今朝は大変気持ちがいいね。」こう云って親しい笑顔を見せてくれた。