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あるおとこのしゅき
或る男の手記
豊島 与志雄
「中央公論」1924(大正13)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 43,279 字 · 86 页
私達は東京駅へ折れ込んで、それから電車に乗った。初め私はただ漠然と郊外でも歩くつもりで、中野までの切符を買ったが、乗り込んだ電車が吉祥寺まで行くものだったから、一層のこと井ノ頭へ行ってみようと思った。
「東京にも、北海道ほどじゃないが、静かな落着いた公園があるから、案内してあげましょうか。」と私は小声で云った。
「ええ。」と彼女はまたどうでも構わないという調子で答えた。
電車の中に彼女と並んで腰掛けて、ステッキの頭に両手をのせ、ぼんやり車外の景色に眼をやってるうちに、私は一寸そうした自分の姿に苦笑したが、別に他意あって光子を連れ出すわけではなく、心さえしっかりしていて過を犯さなければ、彼女と半日の秋の光を浴びるくらい何でもないことだと、至極呑気な気持に落着いていった。たとい友人に出逢って何とか揶揄されても、私は顔に一筋の赤味も浮べないで、反対に相手を揶揄することが出来たかも知れない。後で妻とひどく喧嘩をして、私は北海道の時から光子と関係がついてるのに、それをのめのめと家に引張り込み、光子が河野さんの家に行ってからも、時々媾曳してたに違いないと、とんでもない邪推を受けた時、私は落着いて次のように云ったのである。