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あるおとこのしゅき
或る男の手記
豊島 与志雄
「中央公論」1924(大正13)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 43,279 字 · 86 页
実際彼女はその翌日になって、駅に預けっ放しにしてるという柳行李を一つ取って来たりした。それから私の家に半月ばかりいて、妻から河野さんに願って、子供の家庭教師みたいな風で置いて貰い、昼間は画塾に通っているのである。新宿に叔母がいるなどということを、彼女は今迄匂わせもしなかった。で私は何気なく、その点を軽くつっ込んでいった。すると彼女は平気で答えた。
「だってあの時はああ申さなければ、先生が置いて下さらないような気がしたんですもの。本当は少し前から新宿の叔母の家に来ていたんですの。所がその叔母が大変なやかましやで、私喧嘩をして飛び出して、それから先生の所へ伺いましたの。でも札幌の話はみんな本当ですわ。私よく喧嘩をする女だと、自分でも厭になっちまう時がありますの。」
そして彼女は駄々っ児のように私の顔を覗き込んできた。それを私は、張り倒してやりたいような、また抱きしめてやりたいような、変梃な気持でじっと見返したまま、どうにもすることが出来なかった。
栗飯を食べるために、私は静かな奥まった家へ何の気もなくはいっていったが、やがて自分の迂濶さに面喰った。私達を出迎えた女中は、銀杏返しに結って銘仙の着物をつけ、何を云うにも取澄した顔をしながら、身体全体で愛想を示す、可なり年増な女だった。