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いわゆるひひょうの「かがくせい」についてのこうさつ
所謂批評の「科学性」についての考察
戸坂 潤
「文芸」1938(昭和13)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,581 字 · 21 页
ただこういう非科学的でない処の印象批評の特色として、まず第一に、少なくともそのシステムを外に現わさない。外に現わさないばかりではなく、時とすると自分でもそれとして取り出すことが出来ない。自分で気づかないことさえある(之はこの批評家自身を批評する場合には暴露されねばならぬものだ)。だからその限り、之を特に科学的批評と呼ぶ必要がないわけだ。――印象から距離を作り、印象を之と無縁なものへの媒介とすると云ったあの抽象力が、このシステムによって動かされる最も目立った能力であるが、この抽象が自覚されていないか、外部へ紹介されていないか、夫は必ずしも科学的批評の名を必要とはしないのである。それを印象批評と呼ぼうと何と呼ぼうと、人々の自由だ。と同時に、之が科学的であることに対する反証にもならぬし、まして之が科学的批評一般への反対の足場にもならぬのだが。
さてシステムがどういうものかに従って、科学的批評にも色々の種類と段階とが出て来る次第である。かくされたシステムによるものは今も云った通り、かくされた科学性を結果する。科学性が匿されていようといまいと、印象を忠実に記録するという批評の目的にそえばそれでいいではないか、それ以上、それが科学的であるとかないとかは、批評にとっては無用の穿鑿で、目的を果した批評は、もし科学的という