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いわゆるひひょうの「かがくせい」についてのこうさつ
所謂批評の「科学性」についての考察
戸坂 潤
「文芸」1938(昭和13)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,581 字 · 21 页
つまり一切の批評が印象だけに片づくような、そういう印象は、印象がどんなに理想的であっても不可能だというのだ。印象の追跡は印象への追随であると共に、そればかりではなくて、印象から距離をつくることであり、印象を直ちに疑うことであり、印象を仮構的に破壊することであり、印象をつきはなすことである。それがなければ印象は、少なくとも真に客観的な方向へは、追跡されない。「印象批評」の上乗なるものと雖も、多少とも之をやらずには批評にならぬが、その自覚に於ては印象追随が取りも直さず印象追跡の凡てであるかのように想定されているようだ。
印象批評という言葉には三つの意味がある。一つは一切の批評は印象から出発するという根本事実をそういう言葉でやや不用意に云い表わすものである。第二は、即興的放言を以て批評に代えうると考える処の、括弧づきの所謂「印象批評」だ。之は仇名である。第三は、身辺私小説の持つ厳しさになぞらえ得るような上乗の印象批評だ。だがどの場合でも変らぬ点は、印象からの距離と印象からの抽象というのが如何に批評にとって重大かということへの、関心の不足であると云っていい。