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はせくらじけん
支倉事件
甲賀 三郎
「読売新聞」1927(昭和2)年1月15日~6月26日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 204,697 字 · 406 页
然し俄然彼の態度に一変を加えたのは、彼の妻静子が彼から背き去った事であった。
読者諸君は支倉がいかに彼の妻子に対して愛着の念を持っていたかをよく知って居られるであろう。彼の愛は変態と云っても好い程、強い偏った愛だった。すべての囚人は妻子の事のみを案じ暮すと云う。況んや彼支倉の如きは只妻子を思うのみで、只管に死を逃れ、憎い神楽坂署長に恨みの一言を報いようと努力し続けたのである。
ある朝、此頃静子が次第に自分を訪れる事が疎くなって来たので不安を感じていた支倉は、能勢弁護士から彼女が仇男を持った事を聞くと、みる/\憤怒の形相となり、ハッタと能勢氏を睨みつけた。流石の能勢氏もタジ/\とした。
妻の静子が彼に背き去った事を聞いた支倉の形相は実に物凄いものだった。彼の太やかな眉は釣り上り、見開いた眼は悲痛に輝き、きっと結んだ唇をブル/\顫わせて、呻くような太い息を吐いた姿は正に怒れる閻王の如く、気の弱い者なら眼を閉じて怖じ恐れて口を利く事さえ出来なかったであろうと云う。之は後に能勢氏が親しい友に語った所だ。
静子は何故に彼から背き去ったか。温良貞淑なりし彼女を誘惑し去ったものは何ぞ。