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けいごろん
敬語論
「文藝春秋 第二六巻第七号」1948(昭和23)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,289 字 · 11 页
にすぎないと見る方が正当ではないかと思う。
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言葉という表面に現れているものだけを突き廻して、それだけを改めたってムダなことだ。その奥にあり、敬語という形となって現れた日本的生活の歪みというものを突きとめて、それを論じることが必要である。
お客をもてなすに、ツマラナイモノデスガ、とか、お口にあいませんでしょうが、とかと、妙に卑屈なことを言う。敬語という妖怪をあやつる張本人というのは、そんな風な日本的生活に在るのだろうと私は思う。今日はウチの連中が腕にヨリをかけた料理で、とか、これは自慢の家庭料理で、とか、その食べ物の性格について己れの信ずるところをハッキリ云えばそれでよい。不出来だと思ったら不出来、相手の味覚がそれをどう受けとるにしても、味覚の好悪というものは好き好きで論外である。
オセイボだ年始だと無意味なものを取ったり贈ったり、香典だの香典がえしだのと、すべて人間の真情に即さゞる形式が生活の規矩をなしており、生活が真情に即していないのだから、言葉が真情に即さなくなる。つまり物自体を的確に表現することが生活の主要なことではなくて、儀礼的に言葉をあやつることに主たる工夫があるから、空虚な内容を敬語かなんかで取り繕う必要も生れてくるわけであろう。