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ぶんがくのたいしゅうかろんについて
文学の大衆化論について
宮本 百合子
「新潮」1937(昭和12)年5月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,505 字 · 15 页
作家が、大衆のおかれている感情状態の裡から現実を描いてゆくことと、大衆のおかれている文化的、社会性の低さのままに自らを流し従ってゆくこととは、全く別の二つのことである。もし作家が大衆化の意味をあやまって、後者の態度にしたがうようなことがあれば、それは大衆を低めているものの力に屈すと同時に、作家自身を無力化せしめている力にも自身から叩頭することになってしまうであろう。
近頃は、嘗てプロレタリア文学運動に従った人々が、大衆性の理解についても、一種奇妙な役割を果しているのを見うける。その人々の云うところは、もとのプロレタリア文学運動などは親がかりの若僧が観念的に大衆化を叫んでいたのであって、考えて見ればそれらの人間が大衆を云々するなどとは烏滸がましい、という風な論である。
日本のプロレタリア文学運動が、当時の歴史性によって多くの特徴的な欠陥をもっていたことは事実であった。しかし、私はそういう論者に、読者とともに次のことについて誠心からの答えを求めたいと思う。浮世の辛酸をなめ、民衆としての苦労をした人々を、所謂貧すれば鈍する的事情から立たしめて、その辛酸と労苦との社会的意義を自覚させたのは何の力であったろうか。