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ぶんがくいぜん
文学以前
豊島 与志雄
在线阅读豊島 与志雄《文学以前(ぶんがくいぜん)》,假名注音日语阅读。JLPT N2,点词查义。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,171 字 · 38 页
この時武蔵は少しも騒がず、静かに薬王樹の一枝に手をかけ、竹光柳風軒の教えにより、凡て通力を得た奴は、前に姿を現わすと雖もその本体は後ろに在ることを知る故、前面の刑部姫には眼を止めず、そっと後ろを振向けば、武蔵の身体を離るること、三間ばかりのところ、何やら黒く蹲まっているものがある。さてこそと、武蔵は身を開きざま薬王樹を振被って、気合の声と共に打下した……。
――これは勿論、事実ではなく、宮本武蔵黒狐退治の講談の一節の概略である。講談ではあるが、なかなかに面白い。何が面白いかといえば、凡て神通力を得たものは、その偽りの姿を人の前方に現わすと雖も、その本体を常に人の後方に置く、というただその一事である。ただその一事だけではあるが、それだけではあまり素気ないから、少々味をつけて、講談のあら筋をまねてみたのである。この一事の秘訣を知っているのは、ただに神通力を得た妖怪ばかりとは限るまい。文筆の士も往々にして、意地悪い楽しみからそういう悪戯をやることがある。だがそれはほんの余興で、もしそれが常習となる時には、精神はねじけ心情はくらむ。
然しながら、勝敗を争う方面に於ては、黒狐的方法は、一の戦術として、既に孫呉の昔から闡明されている。