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ぶんげいひょうろんのほうほうについて

文芸評論の方法について

戸坂 潤

「文芸」1937(昭和12)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,949 字 · 16 页

青空文庫

勿論文芸に関した雑文だが。尤も雑文だと云っても別に怒る必要はない。作家の文芸雑文は意味のあるものだ。処が之ならば実は大抵の作家が時に触れては書いているものである。谷崎潤一郎でも之を試みないではない。そしてそれが仲々文芸批評上の示唆になっているのが事実だ。併しそれはそうでも、文芸雑文はまだ決して文芸評論ではない、という区別に変りはないようである。

文芸雑文が文芸評論と見做されないのは、要するにその背景をなしている評論のシステムに対する責任を取らないと考えられるからである。その感想は尊重されても、その言葉は信用されないのがそのためだ。いや悪いことには、この信用すべからざる言葉が不用意にも、或る原因から信用されることが珍しくないことだが、この信用が如何に評論の水準を低下するかを世間はよく知っている。放言であれば多分に文壇的地方弁であらざるを得ないわけだ。だからつまりシステムに対する責任を云い表わしていない言葉は、評論の言葉ではないわけで、この評論の言葉で物を云うか云わないかで単なる作家と評論家との区別になるのである。

処が、こうは区別したものの、実は之までの文芸評論の大多数が、この雑文的・放言的・な言葉を無理にも活用したものであったということを、改めて注意しなければならない。