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しんぱん ほうろうき

新版 放浪記

林 芙美子

「女人藝術」1928(昭和3)年10月号~1930(昭和5)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 247,330 字 · 497 页

青空文庫

(十二月×日)

駒形のどじょう屋の近く、ホウリネス教会の隣りの隣り、ちもとと云う店。まず家の前を二三度行ったり来たりして様子をうかがってみる。昨夜の塩の山が崩れてみじん。薄陽の射した板塀。他人様の家は怖い。牛と云う文字が、急に眼の中に寄って来て、犇くと云う文字に見えて来る。ああ私には絶好の機会と云うものがない。私は若い、若いから機会をつかみたいのだ。

ちもとの裏口からはいって行く。台所の若い男がくすりと笑った。逆毛をたてた大きい耳かくしの髪がおかしいのかも知れない。流行と云うものは私には少しも似合わないのだけれども、やっぱり当世の真似はしてみたくなる。

女中部屋からのぞいている顔。猿のように皺だらけのお上さんが、可もなし不可もなしと云った顔つきで、「まア、働いてごらん」と至極あっさりしている。

持ちものは風呂敷包み一つ。まず朝食に、丼いっぱいの御飯にがんもどきの煮つけ一皿。ああ嬉しくて私は膝をつきそうにあわててしまう。

恋などとはたかのしれたものだ

散る思いまことにたやすく

一椀の飯に崩折れる乞食の愉楽

洟水をすすり心を捨てきる

この飯食うさまの安らかさ

これも我身なり真実の我身よ