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にほんふどうき
日本婦道記
山本 周五郎
桃の井戸
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,620 字 · 26 页
お居間は六帖で炉が切ってあり、こまごましたお道具をそこから手の届くところに置いて、召使はつかわずたいていの事は御自分でなすっていらしった。……南の縁側に立って見ると、杉の樹立のなかに辛夷の木があるばかりで、はじめはいかにも作らなすぎるお庭だと思ったが、お居間の前にある噴き井をみつけてから、ようやくその趣きの深さというものが、少しずつわかりだした。……井戸は石で囲んであった。びっしりと厚くみごとに苔が付いていて、それが絶えず溢れてくる水を含んでいるため、翡翠とも琅ともくらべ難い眼のさめるような美しい色をしていた。その井戸と、井の端にある若木の桃のつくろわぬ枝ぶりと、そしてひっそりとした杉の樹立とは、幾代となく住み古した山家の風趣とでもいおうか、じっと見ているといつか心が澄みとおって、遙かに渓流の音さえ聞えてくるように思える。或るときそのことを申上げたら、おばあさまはお笑いになって「あなたはものごとを力んで考え過ぎますよ、もっと気持を楽になさらなければ……」そう仰しゃった。実はこれまでくだくだと書いてきたことは、みんなこのお言葉に辿りつくための序のようなものだ。