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わせだかぐらざか

早稲田神楽坂

加能 作次郎

「東京日日新聞」1927(昭和2)年6月11日~29日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,407 字 · 46 页

青空文庫

その寺町の通りは、二十余年前私が東京へ来てはじめて通った時分には、今の半分位の狭い陰気な通りで、低い長屋建の家の廂が両側から相接するように突き出ていて、雨の日など傘をさして二人並んで歩くにも困難な程だったのを、私は今でも微かに記憶している。今活動写真館になっている文明館が同じ名前の勧工場だったが、何でもその辺から火事が起ってあの辺一帯が焼け、それから今のように町並がひろげられたのであった。

その頃、今の安田銀行の向いで、聖天様の小さな赤い堂のあるあの角の所に、いろはという牛肉屋があった。いろはといえば今はさびれてどこにも殆ど見られなくなったが、当時は市内至る処に多くの支店があり、東京名物の一つに数えられるほど有名だった。赤と青のいろガラス戸をめぐらしたのが独特の目印で、神楽坂のその支店も、丁度目貫きの四ツ角ではあり、よく目立っていた。或時友達と二人でその店へ上ったが、それが抑々私が東京で牛肉屋というのへ足踏みをしたはじめだった。どんなに高く金がかかるかと内心非常にびく/\しながら箸を取ったが、結局二人とも満腹するほど食べて、さて勘定はと見ると、二人で六十何銭というのでほっと胸を撫で下し、七十銭だしてお釣はいらぬなどと大きな顔をしたものだったが、今思い出しても夢のような気がする。