轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

えいがとみんぞくせい

映画と民族性

伊丹 万作

「映画評論」1944(昭和19)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,175 字 · 11 页

青空文庫

「新しき土」はその悲惨なる一例である。この種のものは芸術国日本の真価を傷つけこそすれ、決して真の意味の政治に役立つはずはないと私は今にして確信する。

くり返していう。芸術は何よりもまずその民族のものである。したがつて自己の所属する民族に奉仕する以外には何ごとも考える必要はない。いな、むしろ考えてはならぬのである。自己の民族への奉仕をまつとうし、民族芸術としての責務をはたしたうえ、さらに余力をもつて国境を越えて行くなら、それはよろこばしいことであるが、最初から他の民族への迎合を考えて右顧左眄し始めたらそれはすでに芸術の自殺である。

およそ民族にはそれぞれ異なる事情がある。アメリカにはアメリカの事情があり、我々には我々の事情がある。彼の民族の垣は低く、我が民族の垣は高いのである。

垣とはすなわち風俗、習慣、言語の隔てを意味する。

我がたたみに坐し、彼が椅子に倚るのは風俗習慣の差であつて、それがただちに文化の高低を意味するものではない。

かつて安田靱彦は黄瀬川の陣に相会する頼朝義経の像を画いて三代美術の精粋をうたわれたが、殊に図中頼朝の坐像の美しさは比類がない。