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ばんきく

晩菊

林 芙美子

「別冊文藝春秋」文藝春秋、1948(昭和23)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,998 字 · 32 页

青空文庫

大きなお尻をぺったりと畳につけて、かがみ込むようにして鋏をつかっている。きっちり巻いた髪の襟元が、艶々と白くて、見惚れるようにたっぷりとした肉づきであった。きんは、そのまままた長火鉢の前へ戻った。田部は寝転んでいた。きんは茶箪笥の上のラジオをかけた。思いがけない大きい響きで第九が流れ出した。田部はむっくりと起きた。そしてまたウイスキーのグラスを唇につける。「君と、柴又の川甚へ行った事があったね。えらい雨に降りこめられて、飯のない鰻を食った事があったなア」「ええ、そンな事あったわね、あの頃はもう、食べ物がとても不自由な時だったわ。貴方が兵隊さんになる前よ。床の間に赤い鹿の子百合が咲いててさア、二人で、花瓶を引っくり返したこと覚えている?」「そンな事あったね……」きんの顔が急にふくらみ、若々しく表情が変った。「何時かまた行こうか?」「ええ、そうね、でももう、私、おっくうだわ……もう、あそこも、何でも食べさせるようになってるでしょうね?」きんは、さっき泣いた感傷を消さないように、そっと、昔の思い出をたぐりよせようと努力している。そのくせ、田部とは違う男の顔が心に浮ぶ。