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くらがりのおとまつ

暗がりの乙松

山本 周五郎

「キング」大日本雄辯會講談社、1936(昭和11)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,992 字 · 25 页

青空文庫

お主をもらってみせるだ」

「じゃあ嫌やしねえだの?」

「お稲さこそおらを忘れるでねえだぞ」

娘は身を顫わせながら、とびつくように男の頸へ手を回した。むせるような女の肌の匂いに男は胸を戦かせつつ、ひしひしとお稲を逞しい両腕で抱緊めた。――若草の伸びる甘い唆るような匂いが、昼のほど良く蒸れあがった土の香ともつれあって、若い二人を忘我の境へ置去るのだった。

この丘を北へ、だらだらと下ったところに、土蔵二戸前、別棟の厩を一棟も持った大百姓らしいひと構えがある――修善寺から裏道伝いにやって来た野火の三次と梅田屋の二人。三次は丘下の杉林の中に足をとめて、

「あの家でござんす」

と指さした。

「なんだえ、仕事というのは百姓家か」

「百姓は百姓でも上畑の嘉兵衛といって、この界隈じゃ名の知れた物持でござんす」

「お前ひどく精しいの」

「めどをつけるからにゃ洗ってありまさあ、しかも今日はちょいとまとまった現金が入っているはず、親分などが御覧なすったら、ほんの悪戯仕事かも知れませんが、まあお目見得の手土産代り、どうか見てやっておくんなさい」

「まあやってみろ」

「へえ、ちょいと御免を蒙ります」