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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
予は単に実隆が連歌、または連歌気分の和歌を善くしたから、しかいうのではない。連歌にも和歌にも種々の色彩のものがある。禅宗的のものもあれば、浄土宗風のものもある。そもそも足利時代を風靡した宗教は、浄土宗よりもむしろ禅宗ではあろうけれど、実隆において浄土宗は全く無勢力ではなかった。狩野派の絵画と禅味との関係も、しばしば論ぜられることではあるが、絵画は当時まだ狩野派の独占に帰しおわったのでなくして、土佐派というものになおかなりの余勢があった。一概に評し去るのは如何わしいけれど、もし狩野派の絵画をもって、禅的気分に富んだものとなし得べくんば、足利時代の土佐派をもって浄土気分のあるものといい得るかも知れぬ。少なくも浄土教が、狩野派よりも土佐派の方に相応わしいとはいい得るだろう。わが国の肖像画というものは、足利時代に始まったのではないけれど、主としてこの時代から流行したもので、土佐派でもこれを画けば、狩野派でもこれを画いた。武家の側の、主として影像を狩野派に描かした事例は、『蔭涼軒日録』に数多く見える。禅僧の肖像とても同様多く狩野であった。実隆は交際の広い人であって禅僧にも、近づきがあったのみならず、画人において土佐派のみを知って狩野派を知らなかったというのではない。