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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
の読習というのは、彼の十二、三歳くらいのころの話であったろう。何故に『三体詩』からして始めたかというに、これは当時流行の教科書であったからで、ちょうど徳川時代において、素読といえば『大学』からして始めたようなものだ。そのいかに流行したかは、明応四年に新板の出来たのでも知れる。その『三体詩』の講釈をば文明九年には、宗祇法師の庵で、正宗から、文明十一年に蘭坡から聴いた。翌年には同じく蘭坡からして山谷の詩の講釈をも聴いた。蘭坡和尚というのは南禅寺の詩僧である。また当時山谷とならんでもてはやされた東坡詩の講義をば、桃源周興から聴聞した。周興をば実隆は「間出の雄才なり」と称讃している。かくのごとく詩集に造詣のあったくらいであるからして、彼はまた時々作詩をも試みた。禁裏での和漢の席に列し、また勅命によって孫子と山とを題とせる詩を作ったことは文明十二年の日記に見え、永正三年には陳外郎から和韻を求められてこれを書し与えたとあり、同六年には雲谷の書いた北野天神の尊像に賛詩を題したこともある。これらはたんに例に過ぎないことはもちろんである。漢籍で愛読したものの中には、『老子経』