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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ

東山時代における一縉紳の生活

原 勝郎

「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页

青空文庫

に神余の手を経て実隆にいたされ、それと同時に太刀一腰と鳥目千疋とを送ってきた。その後も交通の継続しておったことは、日記からして想像される。駿河の今川家と実隆との間柄は、宗長を通じてのみならず、他の方面からしても聯絡を有していた。すなわち実隆の宗家や親戚を通じての関係である。今川氏は了俊以来文事を重んじた家柄であるのみならず、今川五郎氏親は中御門家と姻戚の好を結び、実隆の宗家なる三条大納言実望はしばらく駿州におもむいて、今川の客となり、遂にかの地に薨じた。この実望からも実隆に贈物の到来したことがある。今川の賓客として駿河におもむいた者には、三条実望のほかに冷泉為和等もあり、これも実隆と親しい。されば今川家と実隆とは、その音信に必ずしも宗長を介したわけではなく、永正六年氏親が黄金三両を実隆に送った時などは、相阿がその取扱いをした。

駿河の今川家は、その京都との関係からしていうと、周防の大内家に似た点がある。されば実隆のごとき、当時の京都文明の一半を代表した人が、この両家に特別の交際をなしたことも怪むに足らぬ。しかして実隆とこれら両家との間には、好便による書状の往復や、遍歴する連歌師などがあって、これを聯絡しつつあったのである。