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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
を書写してやった。伊勢の北畠と実隆との音信も、またこの音一の取次であったろうと思われるのは、永正七年五月、音一が伊勢に下向せんとした時、実隆がこれに木造ならびに龍興寺宛の書状を託したのに、同年七月北畠家からして任官の礼だといって、五百疋を贈ってきているからである。
以上述べきたったほかに若州武田の被官粟屋左衛門尉親栄は、勧修寺家の縁故からして実隆のもとに頻繁に出入した。殊に文亀三年四月には、一日から十七日まで、毎日三条西家を訪うている。また永正元年には実隆のために金策をしたこともある。この粟屋が若州に在る伏見殿御料松永庄の代官職を命ぜられたのは、あるいは実隆の推挙によるかも知れない。同じ武田の被官に久村某というのがあって、土産物持参で実隆を訪うたことは、日記に見えるが、これは多分粟屋の紹介によったものであろう。
実隆の交遊広く、雷名の僻陬まで及んでおったことは、日本のはてから彼を尋ねて来る者の多かったのでも推すことができる。薩摩からは、前にもちょっと述べた僧珠全が、一度は宗祇により、一度は宗碩と同道して、実隆に面謁したのみでなく、同国人吉田若狭守位清という者からは、和歌の合点を依頼してきた。