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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ

東山時代における一縉紳の生活

原 勝郎

「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页

青空文庫

しかもそれらの儀式すら応仁の一乱以後は廃絶したものが多く、文明七年に至って始めて諸公事が再興されたのであるから、それまでの大内山のわびしさは、けだし想像に余ることであったろう。この文明七年の四方拝には、実隆はまた右近衛権中将でこれに勤仕したのであるが、その際の日記に、「一天昇平よろしく今春に在るものか」と認めているのを見ても、公卿一般に蘇生の思いのあったことが、ありありとわかる。その翌文明八年の正月には、実隆の地位一段と進み、四方拝には蔵人頭としてこれに勤仕したが、乱後のこととて調度の類もととのわなかったと見え、式場に建て廻わすべき四帖の屏風のうち、二帖だけは大宋屏風で、式場相応のものであるけれど、残り二帖に事を欠き、しかるべき屏風の見当らぬところから、平素風前に立て置ける屏風を持ち出して間に合わせた。ところが暁天の寒む空に御拝を行なわれつつあった最中、風が吹き出して御屏風が倒れそうになったので、列座の公卿らが式の間これを抑えて倒れぬようにしたとある。絶えず歓楽と悲哀との間を出入しつつあった当時において、四方拝の如法にしかも寒夜に行なわれたということは、さすがに神ながらのすがすがしさを失われざる朝廷の趣がしのばれて、一段の異彩を放っている。